教科書には載ってない青銅器などの歴史
>>3
ついでに、日本に鍛冶屋が発生したのは西暦1000年頃で、それまでは中国の鉄器を金銀で買っていた。
ついでに、日本に鍛冶屋が発生したのは西暦1000年頃で、それまでは中国の鉄器を金銀で買っていた。
日本の建造物は中国様式のコピー品で、中国が鉄器を売るために抱き合わせで伝えた技術。
中国は製鉄技術を教えず『鉄器は中国でしか作れない』などと嘘をついて何百年もの間は鉄器ビジネスを行っていた。
ちんぽっぽ!
>>6
西暦1000年頃にダマスクス鋼由来で製鉄技術が伝わって、中国のウソがバレた。
その中国鉄器を追い出す為に日本製の鉄器に銘文が彫られた。
西暦1000年頃にダマスクス鋼由来で製鉄技術が伝わって、中国のウソがバレた。
その中国鉄器を追い出す為に日本製の鉄器に銘文が彫られた。
青銅器で中華建築をやろうとしても刃がすぐ鈍って仕事にならない。
黒曜石も刃がデコボコなので使えない。
だから中国は鉄器ビジネスとして、日本に中国様式の建築を伝えた。
最終的にダマスクス鋼は日本刀として生まれ変わり、中華鉄器追い出しの為に彫られた銘文も日本刀に残った。
おまーんまん!
ウマやトラが日本にいないんなら誰がウマやトラと呼び始めたのか
神戸新聞って、犯罪者の実名と国籍出してるの?

2020年10月14日付け 縄文人影響度 九州・東北は高め、近畿・四国は低め
日本人約1万1千人の遺伝情報をもとに、47都道府県の人々が縄文人と渡来人の遺伝的影響をどの程度受けているかを、
東京大学理学系研究科の大橋順准教授(人類遺伝学)らが調べたところ、縄文人の影響度が高めに残るのは沖縄県と九州や東北の各県で、低めなのは近畿と四国だった。
朝鮮だから韓国っていう理解も誤って刷り込まれている。東アジアの古代国家というべき。百済の王とか倭人だからな。日本が古代から連続してる世界最古の国家だから、朝鮮半島も今に続く国家群というイメージになりやすいが民族系統は全く違うから。たまたま日本だけ昔から続いている。
>>30
朝鮮人は日本に寄生する根拠を
捏造したいのだろう。
以前は強制連行されて来たと
言っていた。
最近は弥生人や渡来人に擬態しようとしている。
朝鮮人は日本に寄生する根拠を
捏造したいのだろう。
以前は強制連行されて来たと
言っていた。
最近は弥生人や渡来人に擬態しようとしている。
>>34
渡来してきたのは隠しようのない事実じゃない?
渡来してきたのは隠しようのない事実じゃない?
牛馬童子
40代の俺は微かに牛という単語に力持ちの意味があったのを記憶している。
今の若い奴らは肉と乳のイメージしかないだろうが。
今の若い奴らは肉と乳のイメージしかないだろうが。
当時は朝鮮半島経由しないと弥生人が日本に来れなかったからな
朝鮮半島のおかげで今の日本がある
朝鮮半島のおかげで今の日本がある
>>13
馬鹿だなあ君はホント馬鹿だなあ
弥生てのは時代の変遷であって人種のことじゃないんだよ
今なら現代人というのと変わらない
弥生時代の人という意味で弥生人と言っているだけだよ
ホント君は馬鹿だねえ
馬鹿だなあ君はホント馬鹿だなあ
弥生てのは時代の変遷であって人種のことじゃないんだよ
今なら現代人というのと変わらない
弥生時代の人という意味で弥生人と言っているだけだよ
ホント君は馬鹿だねえ
>>31
渡来系弥生人も居れば、渡来人の血を引かない毛むくじゃらで奥目の在来系弥生人も居ただろ。どっちも弥生人だろ
渡来系弥生人も居れば、渡来人の血を引かない毛むくじゃらで奥目の在来系弥生人も居ただろ。どっちも弥生人だろ
三国時代当時の東アジアは相互交流が活発だった。どっちが先とかいうよりドラクエの隣りの街に行くぐらいの身近な存在。支配層も戦国大名同士の結婚みたいにつながってたし、朝鮮半島から日本列島、その逆で列島から半島と人と文化が伝わっていた。その後、半島では三国時代の国家、血統、民族、文化は途絶えたが日本は当時から続いているので一方的に半島の影響を日本は受けたと言われるのだが、日本から半島に伝播したもの、例えば前方後円墳とかもたくさん残っている。
不味くなったのは和牛ではなく国産牛でしょ
下手なのに当たると輸入牛と変わらない味に落ちぶれた
下手なのに当たると輸入牛と変わらない味に落ちぶれた
>>18
穀物? 牧草?
穀物? 牧草?
>>29
グラスフェッドだろうがグレンフェッドだろあが熟成が足りないとだめだよな
俺はグラスフェッドの草の香りが好きだ
グラスフェッドだろうがグレンフェッドだろあが熟成が足りないとだめだよな
俺はグラスフェッドの草の香りが好きだ
>>62
赤身派?
赤身派?
>>63
どっちでもいい派
どっちでもいい派
近親相姦奇形エベンキと古代朝鮮人は別の生物です
弥生人
これは左巻きがねつ造したファンタジーだ。
目的は、日本人に、大陸に対するコンプレックスを植え付けるためだ。
これは左巻きがねつ造したファンタジーだ。
目的は、日本人に、大陸に対するコンプレックスを植え付けるためだ。
貴族が乗るのは牛車
NGID:V0i8tM6+0
中国からだろ
ゴミ半島なんざ通り道の一つだし
そういやキムチって中国起源らしいねw
ゴミ半島なんざ通り道の一つだし
そういやキムチって中国起源らしいねw
>>55
そもそも朝鮮半島に道があったかどうか
そもそも朝鮮半島に道があったかどうか
街道が整備されてないと陸路なんて不可能だぞ
新羅が統一するまで、朝鮮半島の陸路交通は困難だろ
新羅自身、朝貢するのに苦労してる
新羅自身、朝貢するのに苦労してる
ああ、新スレがたったの
親韓左派のウリの御意見は前スレで家畜原種論を込みで
昨日やたら長々しきを一人かも書く(!)したからw
再掲はしないが、このスレでも偉大なる大韓の栄光の歴史が
書かれているので、甚だ満足www
親韓左派のウリの御意見は前スレで家畜原種論を込みで
昨日やたら長々しきを一人かも書く(!)したからw
再掲はしないが、このスレでも偉大なる大韓の栄光の歴史が
書かれているので、甚だ満足www
>>74
そして平安の皇室は牛車にすら乗らず輿、
つまり人が担ぐ御神輿に乗ってたってのは面白い。
最後に信用できるのはやはり畜生ではなく人間様なんだなw
だいたい牛にひかせていたら善光寺に連れていかれちまうw
牛にひかれて善光寺参りwww カーボーイwww
>>40
渡来人は現代朝鮮人の系統ではない。
渡来人は現代朝鮮人の系統ではない。
>>43
それと当時朝鮮半島に住んでいた技術者たちが日本に渡ってきた事実とは別問題
現代朝鮮人のルーツってどこなんだろう?
それと当時朝鮮半島に住んでいた技術者たちが日本に渡ってきた事実とは別問題
現代朝鮮人のルーツってどこなんだろう?
>>45
現代朝鮮人のルーツは中央アジアと聞いた今でいうウズベキスタンとかなんかあっちの方
現代朝鮮人のルーツは中央アジアと聞いた今でいうウズベキスタンとかなんかあっちの方
ソースは2ちゃんねる(笑)DNA的にもそうらしい
アイヌの遺跡を潰して在日がウポポイを上に立てて
ウリこそがアイヌニダとやる時代だからな
そういや日本の馬って鉄砲(火縄銃)の音にビビるのに西欧の馬はビビらないイメージ
なんだろう?慣れ?品種の違いなのかなあ?ナポレオンの漫画読んでると普通に突進かましてるし
なんだろう?慣れ?品種の違いなのかなあ?ナポレオンの漫画読んでると普通に突進かましてるし
モンゴル帝国による高麗侵攻は1231年-1273年までの42年間、
第六次侵攻まで行われる程の徹底ぶりwその後80年に渡り
モンゴル帝国の完全なる支配下に置かれた。当時の朝鮮人は
殆ど根絶やしだろな
第六次侵攻まで行われる程の徹底ぶりwその後80年に渡り
モンゴル帝国の完全なる支配下に置かれた。当時の朝鮮人は
殆ど根絶やしだろな
馬返せよクソジャップ
でも、日本の馬の産地って東北地方じゃあなかったけか?
オペで切断した足は火葬できることを伝えたら、癖が強すぎるギャグで返してきた患者さんの話「すごい精神力」「こういう歳の取り方したい」
蝦夷から大和側が仕入れてたって話もあるんだから、樺太経由じゃないの?
淡路市の田井遺跡で見つかった牛の足跡(兵庫県立考古博物館提供)
牛の鼻と口とみられる埴輪の一部。朝来市の船宮古墳で出土し、牛形埴輪としては日本最古とされる(同市教育委員会提供)
今年の干支(えと)「丑(うし)」について調べていると、兵庫県立考古博物館(播磨町大中1)の職員が興味深い話を教えてくれた。「古墳から見つかる出土品で、『牛形』の埴輪(はにわ)は少ない。『馬形』はいくらでもあるのに」。確かに、豪華な馬具を身に着け、立派なたてがみがある馬の埴輪はよく見かけるが、牛の埴輪の出土例は、兵庫県朝来市を含めて全国で数カ所しかない。牛も馬も古くから人の生活に身近な存在だったのに、なぜ差が生まれるのだろう−(門田晋一)
「そもそも、昔の日本列島には牛も馬もほとんどいなかったかもしれない」と指摘するのは同館の中村弘学芸課長(54)。「邪馬台国(やまたいこく)」の記述で知られる古代中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、3世紀半ば(弥生時代末期)の日本には「牛馬なし」との記述がある。
牛馬が日本で広まったのは約200年後の5世紀半ば、古墳時代中期になってから。朝鮮半島から渡来人が農耕や干拓といった土木技術や、乗馬の風習を伝えた際に連れて来たとみられる。
牛馬がほぼ同じ時期に広まったのなら、牛形の埴輪が少ないのはなおさら気になる。中村課長は「古墳に眠る有力者は牛も馬も飼ったかもしれないが、そういう人にはやっぱり馬がぴったりですよ」と笑う。古墳は墓の役割以外に死者の魂がたどり着く「あの世」を表現したものという側面がある。埴輪はその世界観を描く重要な役割を担っているのだそうだ。
例えば円筒状の埴輪は、食事を入れたつぼと台を表す。家形であれば魂が宿る場所で、数多く並ぶ場合は有力者が住んだ宮殿を表す。また、災いを避けるため武具状の埴輪で防御を固め、あの世で身の回りの世話をするという人形もある。
一方、牛の埴輪は荷物の運搬などを担った有力者の所有物にすぎないが、馬の埴輪は権威の象徴。いわば、トラクターとスーパーカーのような関係で、馬の埴輪は力と権勢を表すために多く作られたというのだ。
牛が軽視されるのは、なんだかかわいそうだが、古墳時代後の飛鳥時代(6世紀末〜8世紀初め)には、実際に牛が農地で力を発揮していた痕跡がある。兵庫県内では、淡路市の田井遺跡の田んぼに人と牛の足跡がくっきりと残り、丹波市の梶原遺跡や多可町の安坂・城の堀遺跡で、牛に引かせて田畑を耕す道具「唐鋤(からすき)」も発見されている。
県立考古博物館の中村課長は「遺跡を通して、古くから牛馬に人間の生活が支えられてきたことが分かる。干支をきっかけに、牛にも遺跡にも“もーっ”と興味を持ってほしい」と話す。
■全国で数例朝来に顔の一部
兵庫県内では1988(昭和63)年、朝来市の船宮古墳で牛形埴輪のかけらが見つかっている。見た目はクッキーのようだが、牛をかたどった埴輪としては日本最古で、牛の鼻と口部分だと確認されている。では、体はどこにあるのか? 同市教育委員会に聞いた。
担当者によると、船宮古墳は前方後円墳で、全長約90メートル、幅約85メートルもある。周濠(しゅうごう)を備え、学術性の高さから県史跡に指定された。
実は史跡に指定されると、調査できるのは必要な箇所だけに限られてしまう。つまり、同古墳にはいまだ牛の体や頭の部分の埴輪が残っている可能性があるそうだ。
牛の鼻の部分が見つかったのは、同古墳の後円墳から南西に約20メートル離れた堀の跡。もともと古墳の上に並べられていたか、脇の「造出」という儀式を行う場所にあって、何かの拍子に堀に落ちたときに鼻だけが取れたとみられる。
朝来市教委の担当者は「鼻が見つかったのは運が良かった。体が土の中に残っていると思えるのも、ロマンがありますよね」と話した。(門田晋一)
神戸新聞NEXT 2021/1/27 14:20
★1:2021/01/30(土) 21:54:07.27